キリストの福音が秘められた茶道

 冒頭で日本のパワーショベルが優秀だと述べたが、それは、メーカーとユーザーがお互いを思いやりながら製品を改良していったからだと言う。もてなす側、もてなされる側が心を通わせるのは、茶道の精神である。茶道において客は「私どものために、こんなにいろいろとお手を煩わせてしまい、大変ありがとうございます」と、亭主側の気持ちにならないといけない。亭主は「わざわざお忙しいのに来ていただいて、本当に有難うございます。ご足労かけます」と客側になってものを言わなければならない。「互いに勧め合い、譲り合い、感謝する。これが世界中に広がったら、どんなにいいでしょうか。人間が人間らしさを取り戻すために、お茶を習っていただければと思います」と、裏千家15代家元・千(せん) 玄室(げんしつ)氏は言う。千玄室氏はクリスチャンではないが、同志社大学出身で、また亡くなられた奥様はクリスチャンであった。そのため、茶道に宿るキリストの精神はよく理解しておられる。
 フランシスコ・ザビエルが日本に来た時、伝道の手段として宣教師たちに茶道を勧めた。そして、宣教師らに茶道を教えたのが千利休(1522〜1591)だった。そこで千利休はキリスト教信仰に触れ、七高弟のうち5人までがキリシタン大名(最も親しかったのが高山右近)だったことから、利休もキリシタンであったと言われる。それゆえ、千利休は聖ルカのことであるとも考えられ、利休はキリストの福音を表すことで、侘び茶(四畳半以下の茶室を用いた簡素な「茶道」)を完成させた。
侘び茶へのキリスト教の影響
1) 茶室に入る前に、客が通過する露地は、飛び石がある狭い道であり、虚飾を捨て去り自分をさらけ出すという意味がある。全知全能の神が、人間本来の姿をあるがままに受け止めてくださるということに通じる。
2) 中門を入ると蹲踞(つくばい)(水を貯めるもの)がある。これは主イエスの言われた、「かわくことのない永遠の命の水」(ヨハネ4:14)を表す。
3) 蹲踞の脇に低い灯(とう)籠(ろう)が置かれている。神社仏閣の灯籠は、神仏に捧げられるものであるが、茶庭の露地の灯籠は、暗闇を照らす実用性がある。それは、詩編119編105節の「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯」と、「わたしは世の光である」(ヨハネ8:12)というイエス様の言葉を象徴する。この庭を考案したのは、キリシタン大名、古田織部である。
4) 茶室に入るには、躙(にじ)り口(ぐち)を通らなければならない。これは千利休が考案した茶室特有の出入り口で、主の御言葉、「狭い門から入りなさい」(マタイ7:13)の表われである。武士の魂といわれた刀さえも、利休は入れることを許さなかった。侘び茶では、家柄あるいは立場、持ち物、財産や権力等を捨てていくことを学ぶ。いったん茶室に入るならば人はすべて平等であり、互いに仕え合う身分となる。これは、「茶室にはいるには、天国にはいるのと同じように、大名と言えど、一様にへりくだらなければならぬ」という意味なのだ。
5) 床の掛け軸はその日の茶会の主題を伝え、花や時季のものをキリストが「野の花を見よ」と言われた心で活けるのである。
 キリスト教の信仰を表した「茶道」も、豊臣秀吉のキリシタン迫害に始まって禁教に至る江戸時代にかけて、仏教、特に禅宗の視点からのみ説明され、キリスト教の影響があったことは意図的に排除されてきた。しかし、キリシタン信仰が著しく浸透した九州島原地区では、キリシタンの色濃い茶道具、および刀、兜などが現存している。近年になってバチカンに眠っていた手紙や記録、絵画などによって、侘び茶の完成にはキリスト教の大きな影響があったことが明らかになり、日本側でもそれを物語る資料が出てきた。また、カトリックのミサと茶道の類似性も分かってきている。
 日本文化の神髄と言われてきた茶の湯の精神は、おもいやり、誠実さ、感謝であり、キリストへの信仰を証しするのに不可欠な、気まじめさと、真実な思いで満ちているのだ。このような伝統を持つ日本人クリスチャンこそ、世界で確信をもって信仰を証しする者となろう。


御翼2011年8月号その4より

 
  
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